はじめに
トヨタ生産方式を築かれた大野耐一先生は、まったく社外の人間にも関わらず、また若輩の自分に対して、いつも貴重なお話をしていただきました。本当に自分にとっては宝物になっている、その時のお話を少しでもとどめておきたいと思い、このページを作りました。如是我聞ですが、自分が色々とうかがった話を、少しずつ書きためているうちに、これだけになりました。含蓄深い話がとても多く、自分でも時折読み返しています。
株式会社エムアイイーシステム研究所
伊藤良哉
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■改善とは変えることなり
「改善とは良くなることじゃ無い。結果として良くなるか悪くなるか、そんなことはやってみんと分からん。議論なんか何時間しとったって答えなんか出ん。悪くなったら、何が悪かったんだろうと考えて、また変えれば良いじゃ無いか。改善とは変えることなり、だ。上手くいったら、それにこだわって変えようとせん。それではだめだ。また上手い結果が出なかったからといって元に戻すのは一番つまらん。大切なのは変えるということなんだ」
いつもいつも繰り返し言われたことは、変えると言うことの大切さだった。今が一番悪いと言う言葉にもつながるのだが、自分のやった改善にこだわってはイカン、と常々おっしゃられていた。またその改善結果にこだわってもダメだ、と。変えることこそが改善で、とにかくやってみる、実行にうつすことが一番大切なのだと言われるのだが、さて実行しようとすると自分の殻に突き当たる。上手くいった結果にこだわらずに変えていくその厳しさ。まず誰に対してより、己に対して一番厳しくするということだとお教えいただいたが、うーん、反省の日々である。
■ 急がば、急げ
「大体、昔からのことわざというのは常識になっているが、常識というのはみんなが知ってはおるけれども、誰も疑ったことがないんだね。だから常識ということになるんだが、じゃあ常識にとらわれておったら何にも新しいことはできん。例えば『急がば回れ』なんて言うけれども、あれはおかしい。本当は『急がば、急げ』でないといかん。時々急ぐから気をつけねばならんので、じゃあいつも急いでおったらどうなるか。いつも最短距離を行くにはどうしたら良いかを考えておれば、ここは危ないから舗装をしておこうとか、橋を架ければもっと早くいけるぞというように改善できるのだが、いや『急がば回れ』です、なんて言っておるからいつまでたっても近道ができんというようなことが多い」
大野先生は常々「脱常識でないといかん」とおっしゃられていた(その後必ず笑いながら「非常識はいかんがね」と付け加えられておられた)。その時にうかがった話のひとつである。「私は天邪鬼だから」ともおっしゃっておられたが、人と反対のことを考えることが大事だと何度も教えていただいた。みんなが当たり前と思っていることは、当たり前と思っているがゆえに検証されていないことが多い。例えば「大は小を兼ねる」なんていうのもトヨタ式で考えたらまったく反対になる。多品種小ロットの生産なんていうのは正反対で「小は大を兼ねる」からだ。ナゼを5回繰り返せ、などという有名な言葉があるが、根っからこのように、本当はどうなのだろうという探求の心を強く持っていらっしゃった。こういう話が雑談ともつかない会話の中で、時折ぽつぽつとお話いただいたのが心に残っている。
■ 後ろの工程から引き取ることが後工程引き取りではない
「後工程引き取りというが、後工程から引き取るから後工程引き取りというわけではない。作業には工程順と工程の逆順ですすめるやり方があるが、何か理由がない限りは普通工程順で作業を行う。その方が教える方も教わる方も簡単だ」
最初は「えっ?」と思った。だって後工程引き取りでしょ、と。いや違うんだ、後工程引き取りは作業の方向を言っているのではない。タイミングの問題なのだ、と教えて頂いて始めて理解した。後工程の引き取るタイミングで前工程が後工程の必要とするものを作るのが後工程引き取り、というわけである。文字にすると何ともややこしいが、そのタイミングがあうと言うことと、作業の方向(正逆)は関係ない。単にこれだけのことでさえ、普通の者は運搬の方向と勘違いしてしまう。もちろん文字どおり運搬の方向を後から前に取りに行くこともあるが、だからといって常にそうとは限らない。何と融通無碍な発想だろうと、当時はおおいに感じ入ったものだった。
■ 速きゃいいってものではない
「シングル段取りなんていうことが世間で言われるようになってから、『段取り換えが○分でできるようになりました』と自慢げに言うものがおるが、速く段取りができても、売れる以上に作りすぎたら何にもならんのでね。大切なことはあくまでもジャスト・イン・タイムに作ることです。だから、速くできるようになったら、今度はゆっくりでもできるようにしておく必要がある。必要なタイミングにあわせて自由自在にできることが大切です」
いつも教えていただいたことは、手段と目的を勘違いしてはいけないということだった。上記のお話もそのひとつ。平準化が大切だからといって、平準化することが目的になると、段取り替えのスピードアップばかりを考えてしまう。そうすると平準化は進むものの、今度は作りすぎのワナが待ち受けている。あくまでも必要なものを必要なだけ必要なタイミングで作るための段取り改善なのだから、必要に応じてそのタイミングは変えられるようにしておかねばならないとおっしゃられた。どうしても聴く側の能力のなさか、手法として話を聴いてしまうと、何のためのその手法なのかということがついついおろそかになってしまう。ここでも大野先生が常々おっしゃられていた「部分でなく全体を見る」事の大切さを痛感させられたわけである。
■ ムダと余裕は別物
「改善してムダを省くというと、『いや、ムダも必要だ』などという意見が出てくる。あるいはムダを省くと窮屈になると勘違いしている人も多い。これはムダと余裕というものを勘違いしておるんだ。現場のムダを省いていくと余裕が生まれる。工場で言えば余力ということになるが、人でも設備でもムダを省いたら、それが余力となって、増産に対応できたり、あるいは次の改善につながる。だから余裕まで省いてはいかん。自動車のハンドルに『あそび』があるのと一緒で、あれは運転するのに必要なんだね。あれがないと運転しづらくなるが、それと同じだ」
これは自分も講演の後の質疑応答などでよく質問されることのひとつである。本当にトヨタ生産方式の言葉というのは、きちんと考えられていて定義が明確である。それとは反対に、一般常識的な言葉というのは、知っている言葉ほど内容があいまいなまま使われていることが多い。ムダという言葉の常識的イメージがあいまいなため、このような質問が出るのだろう。そして大野先生もさんざんそういった質問を受けてこられたに違いない。そして「分からん人には説明しても分からんから、いちいち説明しない」ことも多々あったそうだ。
■ 上から何か落ちてくるのか?
「私はだいたい工場では帽子をかぶらん。みんなから『いや、かぶってもらわんと困ります』とよく言われるのだけれどね。『なんだ、この工場は帽子をかぶっとらんと怪我でもするのか、上から何か落ちてくるのか』とよく憎まれ口をたたくのだが、機械でも何でもそういうことが多い。機械に立派なドアがついているので『こんなものはいらんだろう』というと『いや、安全のためです』なんてもっともらしく答える。工場が田舎にあるからといって、ドアを閉めておかんとまさか鳥でも飛び込んでくることもなかろうに。『高く売りつけるためにつけておるんだろう』なんて言ってやるんだけどもね」
これは工場を一緒に歩いたときの一こま。コンベアも部材置き場もなんのその。どんどんと歩いて行かれるので、我々もどきどきしながら「こんなところ歩いていいのかな」と思いつつ足を進めた記憶がある。機械設備に安全装置が必要なのは、作業の与え方の方に問題があると、常々言っておられた。
「機械の前にスイッチがあるから手を突っ込みたくなる。次工程に移動する間に起動スイッチがあれば、突っ込みたくても手を突っ込めないはずだ」とも。確かに両手押し切りの間の時間はただの手待ちである。しかし「安全のため」といわれれば、仕方がないとなるのが一般人。大野先生は「そんなものは屁理屈だ」と喝破された。
■ 矛盾というのは素晴らしい言葉だ
「世間一般では、矛盾というのは良くない意味で使われることが多い。何でも断ち切る矛と、何でも遮る盾というのは両立しないということだが、しかし良く考えてみると矛盾というのは素晴らしい言葉だね。だって、盾も矛もどちらも商売になるのだから、こんな良いことはない」
まったくもって大野先生の面目躍如とでも言うべき言葉である。世間一般の常識的に使われている言葉も、大野先生の手にかかると、突然違った色合いの言葉に見えてくるから不思議だ。この矛盾と言う言葉についても、普通は成立しないものとして考えるが、反対にどちらも成り立つものとして考えてみる。「常識を疑って考えて見なさい」と言うお話の流れの中から、ポロッと出て来たお話だが、妙に耳に残っているお話の一つである。
■ 算術経営はいかん。身を滅ぼす元だ。
「あるところに牛丼屋を出したら繁昌した。これは儲かると2店舗、3店舗と出して行く。まあそれぐらいならそこそこ儲かるかもしれん。しかし10店舗出せば10倍儲かるかと言うとそうはいかん。同業他者も黙ってみておらんから、競合店と競争することになる。さらに一定の客のところに10店出せば、1店当たりのもうけが減るのは当り前。そんなに牛丼ばかりは食えんからね。しかしどうしても算術計算するから10倍もうかると勘違いする。そうやって出店をして行くところが多い。つぶれる会社はほとんどそうで、機会損失だとか何とか言って、売上を増やすことばっかり考えて、結局は会社までダメになってしまうと言うことが多い」
商売を机上計算でするから、本当の実損と機会損失をごっちゃにしてしまい、無理な出店、無理な投資をする。これを大野先生は算術経営と呼んだ。利益は計算では出ないというのが持論で、計算上いくらになるとか、計算上安くつくとか高くつくと言う言葉を嫌われた。さらにもうひとつ。「そんなに牛丼ばかりは食えん」というのは、自分にはものすごく印象深い。「牛丼」に他の言葉を置き換えれば良い。消費には必ずはやり廃りがある。そんなに同じものばっかりは売れんぞ、顧客の要望はもっと色々あるぞ、という、トヨタ方式の基本である多品種少量生産の神髄を伺い見た気がする。今売れていてもいつまでも売れんぞ、次の事を色々と考えて行かなければダメだぞ、と言う大野先生の声である。
■ 機会損失は実損ではない
「こんなに売れるから、作っておかないと機会損失になる。もっと作れ、なんてやっておるが、売り損ねたからと言って実際に損失が出るのかと言うと、なんか儲け損ねた気がするだけで、実際には何にも損はしておらん。ところが、今度は売れると思って作り過ぎて在庫になったら、機会損失どころか実損だ。こんな簡単なことが分からん経営者が世の中に多い。本当に怖いのは売れもせんものを汗水流して作って、売れませんでした、なんて言うことになることだ。機会損失なんて言う言葉の『損失』に騙されてはイカン」
大野先生は常に「作り過ぎはいかん、会社を潰す元だ」と、いつも口に出されておられた。大野先生自身、戦後に生産性を上げろと言うことから一生懸命自動車を作って、生産性は上がったものの、ちっとも売れずにそれが結果として在庫の山となり、会社の存亡に関わった経験があるからこそ、景気が良い時にも作り過ぎと言うことに対して厳しく戒められたのだろう。朝鮮戦争の特需のおかげで、経営危機を凌いだと仰っておられていたが、だからこそ「作り過ぎのムダ」を身に沁みて感じられたのだろう。物作りは売れて何ぼである。それが作れば売れる時代にあっても、売れるものを作る姿勢を崩さずにきた原点である。しかし、儲け損ねと実損は違うと言うことに気付いていない経営者はまだまだ多い。
■ いったいいくらなんだ?
「売るつもりで作っておいて、売れ残ったからといってセールやバーゲンで処分しておる。少しでも現金になればいいと思っておるのだろうが、そんなに安い値段で売れるのだったら最初からそうしておけというんだね。売れもしない値段をつけて売れなくなったからといって安くして売るというのはおかしいのではないか。その商品はもともと一体いくらなんだといいたくなるんだね」
ある時、大野先生が自分の時計を指差して「これは身内にもらったものなんだが、なんでもセールかなんかでずいぶん安く買ったと聞いておる」という話から、この話になった。どうしてセール、バーゲンをするのかということに対して、それまで深く考えたことは無かったが、このお話をうかがって以来、常々大野先生がおっしゃっていた「売れるだけ作る」ということが少しだけ分かったような気がする。本当の「必要」とは何か。セールやバーゲンをして売ったのは、本当に「売れた」ことになるのか。最近の市場の価格を考えるたびに、大野先生のこの言葉を思い出す。
■ 反対のことを考えてみる(1)
「ある時『お陰さまで焼き立てのせんべいをジャスト・イン・タイムに販売できるようになりました』といって、せんべいのメーカーから御礼にとたくさんせんべいを送って来たんだが、まあ普通はそれでいいんだろうけれども、自分はしけったせんべいが好きでね(笑)。パリッとした焼き立てのせんべいだったら、風呂場に広げておいて、湿気でしけったのを食べることにしておる」
せんべい工場での改善事例のお話を伺っていた時に、突然話がここに及んで、豊田紡織の相談役室が笑いの渦に巻き込まれた。「どうも自分は元々あまのじゃくで」と仰られていたが、パリパリのせんべいをどうしたら市場に提供できるかという改善の傍ら、御自身はしけったのが好きで、わざわざしけらせたのを食べるという話は、本当に逆発想もここに極まれりという感がした。「あのクニャッとしたのが、いいんだね」と嬉しそうにお話になられていた時の、なんとも言えない笑顔が印象に残っている。
■ 反対のことを考えてみる(2)
「せんべいは柔らかいのが好きなんだが、じゃあ焼き立ての柔らかい餅はどうかというと、これが反対で、餅は焼いてから1日ぐらい経って固くなったのが好きでね(笑)。普通の人とは、ちょっと好みが違うかもしれんね」
せんべいの話が出たので、「それではお餅は焼き立ての柔らかいのがお好みでしょうね」と、何の気無しに自分は伺ったのだが、その時のお返事が上記である。もちろんその場が大爆笑になったことは言うまでもない。実は大野先生にまつわる食べ物の話はけっこうあって、また機会があったらここで紹介したいと思う。それはともかく、何かにつけて逆発想の大野先生らしいエピソードで、せんべいを食べたり餅を食べたりすると、必ず自分はこの話を思い出して、ひとり笑ってしまうのである。