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はじめに

 トヨタ生産方式を築かれた大野耐一先生は、まったく社外の人間にも関わらず、また若輩の自分に対して、いつも貴重なお話をしていただきました。本当に自分にとっては宝物になっている、その時のお話を少しでもとどめておきたいと思い、このページを作りました。如是我聞ですが、自分が色々とうかがった話を、少しずつ書きためているうちに、これだけになりました。含蓄深い話がとても多く、自分でも時折読み返しています。

株式会社エムアイイーシステム研究所
伊藤良哉

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Part3

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■ 今日に最善を尽くすのがトヨタ方式である

「今までに改善して来たことが頭にあると、どうしても改善の手が止まる。大体自分がやったことほど変えるのが億劫になるんだね。それが上手くいった改善だったら余計で、だから改善前・改善後の写真を撮って比較するような暇があるのだったら、さっさと改善しろというんだが。昨日改善したことはもう今日はダメなんだと。昨日を振り返る必要もないし、明日を考えてもしかたがない。今日に最善を尽くすのがトヨタ式なんです」

 トヨタ式は「今」だけだと大野先生はいつも仰られた。だから良くなったことはどうでも良いのだと、今が悪いと思わないといけないといつも口酸っぱく言われたことが、強く印象に残っている。だから、改善の報告に取締役室にうかがった時も「過去と比較するのではなくて、今が一番悪いと思いなさい」といつも仰った。しかし説得の道具としての写真やビデオの用途は評価されており、「改善前・改善後の比較の写真を撮っておけば良かったと思うことも良くあるんだがね」とのことばに、思わず笑ってしまったことが懐かしい。そういえば色々な改善の写真を見せて頂いた記憶があるが、先ほどの言葉とは裏腹に、そういった資料はけっこう集められていたような記憶がある。

■ 手抜きはいかんが、手間をかけてはいかん

「なんか上手くやろうとするのか、見栄えを気にするのか知らんが、上手にやろうとして時間がかかっておるようなことがあるが、大切なことは実行すると言うことで、だからといって手抜きはいかんのだが、手間をかけて時間がかかるようではいかん」

 これは大野先生の直接の言葉だったかどうかは記憶にないが、「巧遅より拙速を尊ぶ」という言葉がトヨタ式では良く使われる。上手にやろうとして時間がかかるぐらいなら、へたくそでもさっさとやる方が良い、というのがその意味なのだが、だからトヨタ式に取り組んでいる工場の常として、段ボールやイレクターが大活躍することとなる。まず手持ちの材料で仮でも良いから道具やかんばんを作って実際に行ってみる。行動に移すのが早ければ早いほど、その結果が早く分かり次の手が打てるからだ。実際に我々が一番最初に現場の模様をビデオでお見せした時も、そこには段ボールに書かれた作業要領書や表示が数多く映っていたのだが「こういうのでいいんだ」と笑いながら仰っていたのが懐かしい。

■ 亀でないとトヨタ式はできない

「生産性の話をする時に、よくウサギと亀の昔話を例えに出すのだが、バーッとやって速くできましたなんて喜んでおることがあるが、大切なことは遅くても良いから前に進んで行くということなんだね。あるいは失敗があって逆戻りするようなことがあるかもしれんけども、もっとこうすれば良いのではないかと工夫して、やり続けてみるということが非常に大事なんだ。だから改善と言うのは『倦まず、たゆまず』であって、みんなが亀のようにならないとトヨタ式と言うのは出来んのだ」

 これは本にも書かれている話なのだが、休まずに一歩ずつ歩みを進めた亀が最後にゴールするという話を、大野先生は好まれていたのだろう、良く聞かせて頂いた。知ってはいる話でも、御本人からうかがうと「まったくそうだなあ」と心のそこから思えた。まさしく大野語録といえるものに「改善は倦まず、たゆまず」とか、「改善とは変えることなり」とかいろいろあるのだが、「亀にならないないとトヨタ式はできない」というのもその一つに入るのではないか。最近思うのだが、またこのコーナーで大野先生の言葉を思い出してより強く感じることなのだが、こういった簡単だが深い言葉というものをトヨタ式を紹介する時にすっぽりと抜け落ちてはいないだろうか。手法やテクニックと言うものに関する書籍やホームページの類いは星の数ほどあるが、トヨタ方式とは何か、あるいは大野先生はその時に何を考えられていたのかと言う話は皆無に等しい。実は当時すでに大野先生はそう言ったことに関して、いろいろと苦言を呈しておられた。残念ながらここには書けないが、忸怩たる思いがお有りだったに違いない。

有人飛行より無人飛行の方が素晴らしい

「昔の話になるが、人間が人工衛星に乗ったというので大ニュースになったことがあるが、良く考えてみると、無人で人工衛星を飛ばす方が難しいのではないか。人が運転して飛ばす方が、何かあっても対応できるが、これを無人で飛ばすというと、いろいろと計算もしなければいかんだろうし。世間では人が宇宙に出たといって騒いでいたが、自分は無人の方が上じゃないかと思うんだがね」

 脱常識と言ってしまえばそれまでだが、大野先生は手段と目的ということを仰っていたということが、今頃になって分かる。人間が宇宙に出たことの意義をここでは言っているのではなく、その先にある目的は何なのかということを考えた時、大野先生は迷わず「無人の方が素晴らしい」と言う。常々「汗かいて、いっしょうけんめいやっとります、なんて言えばほめてもらえるとおもっとるか知らんが、つまらんことに汗かいたって誰も儲からんのでね」と仰っておられたが、こういったことにまで、何が本質なのかを見つめていた大野先生の厳しさと言うものが知らされるエピソードである。

■ 真空管でマッハが出る方が凄いのではないか

「ある時ソビエトから戦闘機が日本に不時着して、その戦闘機を調べたところ、機体にサビがういていたとか、あるいは心臓部に真空管を使っておったということで、ソビエトの技術を旧式のものと揶揄するような記事が新聞などにも載っておった記憶があるが、自分に言わせれば真空管でマッハが出せれば大したものではないか。古い技術でも使い用によっては現在でも十分に通用するなんて言うことが、身の回りにもいっぱいあるのではないか思うんだね」

 無人・有人論の流れから、このお話に必然的につながって行った記憶がある。「経理屋は、償却がどうのこうのと言って古い機械をバカにするが、どうやって償却が済んだような古い機械でも儲けが出るか考えるのが現場の知恵と言うものだ」と、常々仰られていた。大野先生はこんな風に世の中を見られていたのかと、ものすごく印象深かったお話の一つだ。当時のミグ戦闘機に代表されるソビエトの技術に対して、こんな風にコメントをした記事なり評論なりというのは、恐らく皆無であろう。「自分は人と反対のことを考えるのが好きでね」と笑っておられたが、はたしてどれほど意識的にされておられたのか、あるいは根っからのものなのかは今となっては尋ねるすべもないのだが。

■ 別盛りのカツ丼

「若い時はいつも腹を減らしておった気がするね。だから昼飯が待ち遠しくてね。よく昼にはうどん屋と言うかそういうところに行っておったんだが、なんとかたくさん御飯を食える方法はないかと考えておった。だから、カツ丼を頼んでも、店のオヤジさんに頼んでカツとどんぶり飯を別にしてもらうようにしておった。カツ丼だと一杯しか食えんけれども、そうすればカツをおかずにしてどんぶり飯のお代わりができたからね」

 大野先生は健啖家で、何度かお食事を一緒にさせて頂いたのだが、びっくりするほどの食べっぷりと言うか、何を前にされてもぺろっと(しかもかなりのスピードで)召し上がられていたことが懐かしい。そんな折に聴かせて頂いたお若い頃のエピソードである。大野先生の手にかかれば、世の中の常識はすべて見直しの対象となる。カツが載っていてのカツ丼なのだが、そして今でこそ時折見かける「別盛り」という奴だが、必要は発明の母というか、恐らくは何十年も前にそれを実践されていたとは! そういえば食べ物に関してのエピソードは色々と聴かせて頂いた記憶がある。ぼつぼつと思い出してここに懐かしさと共に記しておきたいと思う。

■ 排除ではなく「廃除」

「現場を改善して行く上で、いかにムダを見つけるかが一番大切になるわけだが、このムダと言うと『ムダ排除』なんて言う言葉がある。私はこの『排除』というのではいかんのではないか、そうではなくて無くしてしまう方の廃止の『廃除』にしなさいと言っておるわけです」

 大野先生お得意の文字の置き替えシリーズのひとつである。目無しの「少人化」・目ありの「省人化」もそのひとつだが、そう言えばトヨタ方式は「自動化」「自働化」からそのルーツは見られる。大野先生は「『排除』というと、なんか取り除いても、横によけておいただけでまたすぐに出てくる感じがする」と仰っておられた。確かに、確かに。このあたり、問題を対処するのではなく、その真因を突き止めて問題が二度と発生しないようにする「なぜを5回繰り返す」その姿勢とつながるのだろう。

■ ドアは押すか引くか

「いつだったか海外旅行に行った時に教会に立ち寄ったのだが、あの教会のドアというはちゃんと考えてある。外からは押して入るように、ドアノブというか引き手がついてないのだね。こう、大きな金属の板が外側には貼ってある。それで内側は引いてあけるように引き手がついておる。これならば、内側と外側で引っ張りあうことはないからね」

 ある時、豊田紡織の相談役室を訪問した時の話題のひとつである。ドアの両方にノブがついているのはけしからんと仰るのだ。両方が引っ張ったら時間のムダだろう、と。片方は押す、もう片方は引くようにしてあれば、誰も迷わなくて済む、と。確かに実際にそんな経験は誰にでもある。でも大野先生の大野先生たるところは、物事の大小を問わずに、ムダなものは何でもあってもムダなのだと言う毅然とした姿勢であった。
 で、実は豊田紡織の事務所の入口のドアも最初はそうなっていたそうだ。「うちのカイシャの者にけしからんと文句を言ったら、すぐに改善しとったがね」と笑って仰るので、帰り間際にドアを確認したら、確かに外側のドアノブは外してあった。ただし、本当にノブを外しただけの状態だった。しっかりと痕が残っていたのがなんとも質実剛健な感じがして、暖かい気分になった記憶がある。